自分の「好き」が分からない=決断できない
今日、ふと目に止まった服の整理についての記事のコメントにすごくひっかかりを覚えました。
記事の内容は、ときめきだけでは服の整理が出来ない人に向けた別のアプローチ方法についてだったんですが、コメントに「ときめく服ばっかりになったらスーパーに行くときどうするの?」とありました。
私はこのコメントを読んだ時「はて??」となったのですが、あなたはどうですか?
なんでスーパーに行く時にときめく服で行っちゃだめなの?って思いませんか?
そもそも、ときめく服っていうのは一張羅でも高価な服でもドレスでもなくて、「わぁ!この服ホント好き!」っていうそういう気持ちを呼び起こすものなんですよね。
他のコメントを読んでいても、結構この辺を誤解してレスしている人多いなと感じました。
「ときめき」という単語が独り歩きしているけど、1000円のトップスでもデザインとか着心地が本当に自分にしっくりきていて、着るのが嬉しい服は「ときめく服」なのです。
10万円のジャケットでも、自分が着ると似合わないものは着たくないし、ときめきませんよね。
つまり「普段着はどうせ汚れるし、このレベルでいいや~」って思っているのが問題です。
これって自分の事大切にしていますか?
なぜ自分はどうでもいい服で妥協してるんですか?
大切な人に普段着をプレゼントする時、気にいるかどうかより安いからという理由で選びますか?
こういうのの積み重ねがじわじわと「自分下げ」に繋がり、「どうせ~~だし」が口ぐせになって、無難な選択ばかり選んで好きなこともよく分からなくなるんじゃないかと思います。
部屋着を一新しました
と、ここまで偉そうなことを書いている私ですが、実は少し前までどっちかといえば普段着はとにかく無頓着で、仕事用の服だけ揃えている人間でした。
特に誰にも合わない日に着る部屋着やパジャマは、ときめかないものが7割を締めていたのです。
先月大きな断捨離をしたときに思い切って捨てることができましたが、今までなぜ捨てられなかったのかをお話します。
私はどちらかというと、フリルとかふんわりとかピンクとか、いわゆる女性っぽいデザインのものが好きです。
でも一時期それを封印していたときがあります。
大柄な私には可愛いものは似合わないと思っていたのと、大人なんだからこんな子供っぽいもの卒業しなきゃという謎の世間体。
まさにそういう思考に囚われていたときに揃えた服は、シンプルで色も暗めなものでした。
加えて、昔仕事でスポーツメーカーと関わりがあったのでそこの社販でジャージ類をめちゃくちゃ安く手に入れたんです。
一流メーカーだけあって、機能性は抜群でしたが、いかんせんデザインが一切可愛くないという(笑)
もともとスポーツ系の洋服には全く興味がなかったのに、安いからという理由で買っちゃったんですね。
特に夏のシャカシャカしたハーフパンツなんてホント涼しくて流石だなって思いましたよ。
丈夫すぎてぜんぜん傷まないこのハーフパンツ、気に入っているわけではなく、そこに在るから履いていました。15年ぐらい。
とまあこんな感じで中綿入りの冬用のパンツとか上着とか何着かあったんです。
まったくデザインは気に入っていないけど、本来数千円~1万円ぐらいするものを数百円で買えたという体験があったので「もったいなくて捨てられなかった」のです。
浅はかでした。
有名な言葉に「迷う理由が値段が高いなら買え、買う理由が安いならやめておけ」というのがあります。
まさに当時の私にこの言葉を教えてあげたいです。
私は値段が安くてラッキーというだけで、好きでもないときめかないジャージを大量に手に入れていたのでした。
メーカー品だし破れないしで捨てるタイミングを見失い、今の今まで気に入っていないまま使っていましたが、この度思い切って処分しました。
代わりに、今の私が思う「これオシャレだなぁ」っていう部屋着を1300円ぐらいで2セット購入。
そうしたらどうでしょう。
なんか着ると嬉しいんです。
鏡にうつる自分をふと見た時も、オシャレな部屋着着ている私なんです。
あの可愛くないジャージの私じゃない…!
かくして私はたった2600円でものすごい幸せな気分を手に入れたのです。
寝具を変えることにしました
少しずつ自分の好きなものを普段のものに取り入れる練習をしていくと、徐々にその感度が高まっていきます。
今使っている春夏用の布団カバーは、急遽必要になって当時考えられる選択肢の中で一応がんばって選んだものです。
しかし、本当に欲しい色(暖色系)で気に入るものがなかったので、寒色系で妥協しました。
ベッドって部屋の視覚の多くを占めているので、やぱりちょとだけ心に引っかかるものがありました。
素材自体は悪くないのですがどうも色がやっぱり気に入らないなぁと。
今自分の周りがどんどん気に入るものに置き換わっている中で、寝具をこのままにするのはゾワゾワが収まらない。
ということで、この2週間ぐらい真剣に寝具をリサーチしました。
可愛いと機能性を併せ持ち、かつ予算に収まるものを入念に調べると、あったんです!気に入る商品が!
予約品なので手に入るのはもう少し先ですが、これが届くと私は毎晩うっとりできるわけです(笑)
部屋のなかでうっとりできるって、めちゃくちゃ幸せじゃないですか?
「好き」に囲まれるっていうのは頭で理解している以上に精神面に影響すると私は思っています。
自分の身につけるものや持ち物をなぜ気に入らないモノで妥協する必要があるのでしょうか?
お金を使えばいいってものじゃないのですが、限られた予算の中で最大限の努力をするという姿勢は大切だと思うんです。
もしめちゃくちゃ好みのものが予算オーバーだったとしても、他で調整すればいいと思うんですよね。
特に日用品の予算オーバーなんてたかが知れてますし。
どっか別の事で調整したらよいだけのこと。(メルカリとか自己アフィリとかお金は作れる)
自分の好きを知れば幸せになれる
私の例を2つだしましたが、結局いいたいことは、自分の好きをもっと追求しようよ!ってことです。
現代人は忙しいからついつい考えなくて楽な選択を取ることがあります。
でももし自分のなかに「好き」が明確に存在していたら、その時の選択は間違わずに済むわけです。
そして世の中のマーケティングは本当に巧みだし、とにかく消費させようさせようと罠がいっぱいです。
世間に流されて無駄な買い物をしたこと、ありませんか?
自分の「好き」だけで生きていると、世間のそういう喧騒からはおさらばできます。
今回は買い物を中心に話しましたが、買い物に限らずいろんな決断をするときにこの直感力って大切になってきます。
人間関係もそうです。
私が好きな人は、思いやりが持てて、決断力があって、自分の考えをしっかり持っている人です。
他人の意見でコロコロ自分の意見が変わる人や、なんでも他人任せな人、でもでもだってな人は苦手です。
だから好きではない人とは深い仲にはならないようにしています。
ああこの人は私の心を乱す人だ。と認定するわけです。
でも自分の好きな人の軸が定まっていなかったら「いやいやもしかしたら私の方がおかしいのかもしれない」みたいな様子見をしかねません。
時間がもったいないだけです。
自分が付き合っていく人は、自分で決めて良いのです。
曖昧にせず決めきる強さ
とはいえ、先程も書いたように現代人はとにかく忙しい。
「とりあえず」で一旦横においておく事柄もたくさんあるのではないでしょうか。
ですが、ここで自分と向き合わずに過ごした場合いつまでたっても横に置いた事柄は横に置かれたままです。
好きじゃないものは好きなものを手に入れるまでいつまでたっても目の前に在り続けます。
「自分はこんなもんでいいや」と自分で自分の可能性に蓋をしている状態です。
あなたが望むのは「これぐらいでいいや」と妥協した未来なのでしょうか?
それとも「これ叶うとめっちゃ幸せ」とワクワクする未来なのでしょうか?
夢や憧れって、きちんとそこと向き合えば何をして何をしないかがどんどん明確になっていきます。
でも忙しすぎて夢や憧れを忘れてしまっている日本人のなんと多いことでしょう…。
「とりあえずこれでいい」「今はしょうがない」「いったんこれで」と未来への道を閉ざしていませんか?
みんながこうだから、他の人に迷惑だから、自分も周りに合わせないと…こんな価値観に縛られまくった私たち日本人は、自分で未来を切り拓く力さえも削がれてしまっています。
結局「やりたいことが分からない」「私にはできない」「好きなこと/嫌なことが分からない」といったある意味病気のような状態。
無気力な大人が本当に増えていると感じます。
誰かに教えてもらわないと何も分からない。自分で決断できない。自分の判断に自信が持てない。失敗するのが怖い。
自分の人生は自分でプロデュースするしかないんです。
一生を無難にとりあえずな事柄に囲まれて人生こんなもんかと終えるのと、楽しく好きな事柄に囲まれていい人生だったと終えるのと、どちらを選びますか?
自分の人生に自信が持てず、このままでは嫌だ、もっと主体的に人生を歩んでいきたいと思っているのでしたら、ぜひお問合せフォームやLINEからお気軽にご相談くださいね。
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