「どうせ私なんて」が口癖だった私が「愛」に気づいた話
心の中で思っていませんか?
「どうせ私なんて」「どうせ私にはできない」「どうせ私なんかがやったところで…」と。
私は結構この思考の持ち主でした。
「どうせ私はこの程度」「どうせ私はこんな人生」って。
だから「私ならできる」とか「私最高!」って言える人が羨ましくもあり、妬ましくもあり。
知らず知らずのうちに「自分下げ」が常態化した結果、出来上がったのは「当たり障りのない平均点の私」でした。
何も自慢できることがなく、何も得意なことがなく、私なんかよりできる人はいっぱいいるから、、、と一歩も二歩も下がった発言のオンパレード。
これものすごく自尊心と自己肯定感を下げる行為です。
もし無意識にこの「自分下げ」を行っていたら今すぐストップしましょう!
今回は「自分下げが特技」だった私が、今やこの口癖と完全におさらばし、なんと「愛」に気づいた経緯を話します。
なぜ自信を持つことに抵抗感があるのか
日本人は自分にあまり自信が持てない人が多いですね。
そして自信満々の人を見るとちょっと引いたり…。
「出る杭は打たれる」ということわざがある国ですから、そういう国民性かもしれない。
そして、褒められるのに慣れていないから、いざ褒められてもそれを素直に受け止められない。
ああなんと悲しいサガなのでしょうか。
私の場合は「失敗したら恥ずかしい」とか「できない事がバレるのが嫌だ」とか、そういうプライドの塊からです。
だから自分の実力以上のことにチャレンジするっていうのは、本当に清水の舞台から飛び降りる気分の時だけ。
「定番」が好きだったり、気に入った食べ物をずっと頼む人なので、チャレンジが少ない。
そして「自信がある人」のことを、妬ましく思っていました。
「なんでそんな恥ずかしい事が堂々と言えるんだろう?」と素直に思っていましたし。
いわゆるビッグトーク的なことをあっけらかんと言ってしまう、どっからどう見ても実力足りてませんよね?っていう人とかめっちゃ冷たい目で見ていました。
チャレンジしようとする人を「無謀だな~」とも思っていましたし。
とにかく私はものすごく社会的に安全なところから傍観していました。
降りかかる火の粉を払うのは得意だし、敵に見つからないように隠密に動く感じ(笑)
自信を持って行動していて、もし失敗したら、めちゃくちゃ非難されたりバカにされるって本気で思っていましたから。
私は私自身にものすごく大きな呪いのようなものをかけていたのです。
自分の発言には責任を持たなければいけない、宣言したことはやり遂げなければいけない、チャレンジするなら失敗は許されない…
そんな価値観にガチガチに縛られていたのです。
他人の評価を気にしすぎる性格のバランスをとったもの
なんでこんなに雁字搦めな思考回路になったのか、原因が思い当たる節がありすぎる人生です。
一人っ子だから親の期待も大きかったし、昔から「しっかりしている認定」されていたので、私は世間の「しっかりした人間」であるべきだ。
と小さい頃から思っていた節はあります。
テストは何点があたりまえ、成績表は上位に入るのが当たり前、誰が見ても「しっかりしてるね」って見えるようにしなければいけない。と思っていました。
でも、実際の私はめちゃくちゃルーズだし、だらしないし、やりたくないことはとことん手を抜きたいタイプ…。
それなのに、他の人からどう思われるのかが心配すぎて、全て誰かに褒められるため、誰かに認められるために行動していました。
当然そんな状態が続けば、心のバランスが取れなくなるのでどこかで発散しなければ壊れます。
その発散先がバンギャだったのでしょうね…。
ヴィジュアル系とかパンクの「お耽美orド激しい非現実の世界」が「いい子ちゃんモード」に偏りすぎた私を中立に戻してくれたのです。
ヴィジュアル系も衝撃を受けましたが、これは青春時代というのもあって、影響受けやすい時期だし分かります。
ですが私は自分がパンクにハマるって思っていなくて、これが一番びっくりしました。
入れ墨だらけの人に囲まれ、頭上はゴミ箱やら人が飛び交い、ステージでは火炎放射器が火を吹き、観客に爆竹投げ込んでくる世界…。
安心安全な世界でぬくぬく育った私には衝撃でした。
一方会社ではばりばり仕事をして「よくやってるね」って言われるために全力社畜です(笑)
だから「ギャップがすごい」と当時はよく言われました。
確かに私の取り繕った見た目と、心のバランスを取る趣味は全くもって相反するものですから…。
でも私のこのフリ幅のデカさはそれだけ「普段の生活」を無理していたからなんだろうなって思います。
だって今こんなに感情の振れ幅大きくないですから。
人間不信ゆえに勘違いしていたコミュニケーション
私は自分を保つために、非日常に没頭することで「マトモ」な人生を取り繕っていました。
ですが、なぜこんなに「日常」に不満があったのでしょうか。
突き詰めて考えてみると、多分これはすべて「人間不信」から来ていたのだと思います。
私、人になにか頼み事をするのすごく苦手なんです。
結婚していた時も、相手の機嫌を損ねるんじゃないかと思って言い出せない事いっぱいありました。
人とコミュニケーションを取ることになれていないんでしょうね。
もちろん友達とか職場の知り合いとかと話す、接客するとかのコミュニケーションは取れるんですよ。
でもお互いの意見を出し合って、最善の道を見つけ出すような「話し合いによる解決」とか苦手です。
「あ~じゃあ私やっときますよ」みたいな感じで丸く収めがち。
そして不満がMAXまで貯まると、だんまりを決め込むという面倒くさいやつ(笑)
「嫌なら言えばいいじゃん」と頭では分かっていても、言い出せないのです。
それはなぜか。
相手を信用していないから。
これに尽きます。
そうなんです、私は話をする前から、妄想で会話を繰り広げて「断られるに違いない」「絶対私のこと引くだろうな」「嫌な顔するだろうな」と想定しちゃうんです。
この妄想は大体悪い方向に着地するので「やっぱ言わんとこ」となるわけです。
でもいざ自分がなにか頼まれごとをしたら、嫌な気持ちする?と問われるとそうじゃないんですよね。
もちろん無茶ぶりは嫌ですけど、私ならお茶の子さいさいよ~ってことならすぐ手伝いたいです。
このギャップを知った時、今まで私はコミュニケーションとか話し合いを誤解していたと、青天の霹靂でした。
なぜ勝手に脳内シミュレーションを繰り広げて自分で答えだしちゃってんの。ってことです。
これはコミュニケーションでもなんでもない。
コミュニケーションは相手があって初めて成立するもの。
会話ってそういうことです。
脳内の会話は会話じゃなかったのか、ガーン。みたいな(笑)
人を信じると、自分を好きになる
私知らないうちに周りを敵認定していたんですよね。
だからその敵にバカにされないように、自分の弱点を知られないように、必死で防御して生きてきたんです。
これがネジ曲がりすぎて「はいはい、私のような者はあなた様の足元にも及びませんので、どうぞこちらの事は放っておいてください」となり、「私なんかがあの敵を満足させられるわけはない」「私にはどうせあの人(敵)みたいにはできないから」と、自分を下げることでプライドを守っていたのです。
ところがですね、私が人から頼られたり、頼み事をされたときに嬉しいと思うこの感情が、敵にもあるんですよ(笑)
びっくりですね。
そっか、敵も私と同じ人間だったのか。ってね(笑)
そこから少しずつ対人関係を改めることにしました。
意外と人って温かいんだなって思った経験ってあると思うんですけど、これをちゃんと受け止めることにしました。
私、独立すると決めた時に、絶対誰にも言わんとこ。って最初思ってました(笑)
こんなこと「敵」にバラしたら絶対鼻で笑われるわ。って思っていたので…。
でも、勇気を出して言ってみたらみんなめっちゃ応援してくれるんですよね。
絶対否定されると思っていた親ですら「頑張れ」って言ってくれてびっくりしました。
「安定大好き思考の親が「会社員をやめる」ことに賛成するだと…!?槍が降ってくるのでは?」
ってぐらい衝撃だったんです。
世界は私が思っているよりはるかに私の味方だった
つまり私の敵は、私が勝手に作り出していた妄想に過ぎなかったのです。
むしろ敵は私自身だったのです。
「どうせ私にはできない」という呪いをかけていたのは、他の誰でもない私自身。
周りの人は「できるよ!」「大丈夫だよ!」「応援してるね!」「なんかあったら言ってね!」って言ってくれていたんです。
これを理解できた時、ようやく「私できるんだ」って自分を認めることができました。
「私、やってもいいんだね」という許可を出せました。
せっかく皆が応援してくれているんだから、自分のことを自分が一番信じないとこりゃ罰が当たるわ~って。
私も純粋に応援している人や、何かあったら力になりたい人いっぱいいますけど、実は私も誰かの「その人」になれているんですよね。
これは人類全員そうで、必ず誰かの大切な人なんです。
ちょっと壮大な感じですけど、この「愛」にいち早く気づいて、自分を信じて素直に人生を歩む事が、幸せな人生なんだと思います。
だから、もし事あるごとに自分を否定するような言葉を使っていたら、そんな自分に気づくところがスタートです。
「あ、私また自分のこと信じてない…。今日は私にはできるって思ってみよう」と意識を変えていく。
この積み重ねをしていけば、気づけば自分を信じられるようになっているし、なんなら周りの人の「愛」にも気付けるようになります。
そして、世界は私の味方だって思えるようになります!
かつての私のような思考を持っていて苦しんでいるのであれば、まずは自分のことを肯定するところから始めてみてくださいね。